所在地:長崎市松山町1-5

被爆当時、

画像は昭和23年(1948)1月13日の幸町から大橋町までを撮影した航空写真です。原爆投下から3年経っても爆心地附近の大部分がまだ焼野原の状態であったことがわかります。また、駒場町をまっすぐ突き抜ける直線は進駐軍の飛行場滑走路であった「アトミック・フィールド」です。

原爆による復興に莫大な費用が必要であった長崎市は、財源確保から競輪場設置を諮り、昭和24年(1949)9月に全国で15番目の競輪場として長崎市営競輪場が誕生します。場所は、原爆の被害により焼野原となっていた駒場町、現在の長崎市営ラグビー・サッカー場です。